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2012年10月11日

察する文化 と 表現する文化

中国に住んでいると、物事に対する受け取り方の違いについて、気づくことが多々あります。

 

というのは、日本の方からのメールを読んでいて、しみじみ思ったのが、
書き手の意図が、複数取れるということ


例えば、文章から


1:そうしてもらわなくても、大丈夫
でも
2:そうしてもらった方も、より大丈夫かも


1と2どちらでも取れる文章がある場合


読み手によって、
1 > 2 と捉えるか
1 = 2 と捉えるか
1 < 2 と捉えるか


かなりの違いが生じるわけです。
日本的に言えば、1 < 2 と捉えるのが正解とは思うのですが、、、

 

当然ながら、捉え方によって、相手の対応が異なる訳です。


仮に、書き手が 1 < 2 を意図していても、
読み手が、 1 > 2 と捉えてしまった場合、


書き手の要望は、達成できないことになります。

 

でっ、

 

ここで問題なのが、


中国では、読み手に依存した書き方ほど、嫌がられる書き方は無いので、自分が中国モードになっている時は、
思わず「どっち??」とツッコミを入れたくなったりするわけです。

 

日本の会社と交渉したことがある中国人と話すと、かなりの頻度で、やり難いという話が出てくるのは、この辺りにも原因があるように思います。
しかも、良い悪いは別にして、中国自身の意識の高まりにより、素が出てきていることが、中国との交渉を面倒にしているのかもしれないと思ったりします。

 

それぞれの特徴を分かった上で、読み手依存をするのは、効果的ですが、
分からず、進めるのは、トラブルの元のように思います。