日本と中国の物事へのアプローチの違いを考えていて思ったのが、
日本の場合、出来ないことを洗い出しから、始める
中国の場合、出来る可能性を洗い出し、始める
このような傾向があるような気がするんですよね。
私自身が書いているブログにしても、日本特有の傾向が出ていますよね(苦笑)
どちらが良いとか、悪いとかじゃないんですよ。
そんな物事へのアプローチの違いを考えながら、
オーダーメイドで、ある製作を依頼した際のことを書いてみます。
まず、「できるかできないか?」の問い合わせで
『できるよ!』との返答があり、金額や納期を確認し、製作!!
がっ、納期の直近になって
『ちょっと問題が発生、一生懸命にやったんだけど、できなかった』
私としては、絶句「えっ、、、、」ですよね(汗)
日本的な感覚で言えば、『できるよ!』との返答には、「出来ない」可能性をほぼすべてつぶした上での返答という感じがあったりしますから。
『できるよ』=『なんとかなるだろう』ではないんですよね。
できないと言っていることに関して、業者を責めたところで、出来上がることは無いので、
結果、速攻別の業者さんを探し、『なんとかしました』。
事情を説明し、納期だけは延ばしてもらったので、もう少し早く対応できればよかったんですけどね。
このようなことは、中国の場合、たまに発生します。
これをどう捉えるかといういことにもなるんですよね。
マイナス面から捉えると、『できるよ』と言ってもできないことがあるんだとすることになるし、
プラス面から捉えると、気軽に案件を受けてくれるということになる
中国の『できるよ』というのも、8割以上ないと『できるよ』とは言わないし、
日本の『できるよ』というのも、現在想定上はという括弧書きが入っているわけだし、
100%というものは、存在しないと考えると、『出来ない』ということにこだわり過ぎないようにというのも、重要なのかもしれないと思ったりします。